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昨日、名古屋ドームまで陶器の展示会へ出かけた帰りに、名古屋の街をちょっと歩いてきました。雨が降っていたにもかかわらず、大勢の人が街を歩いていました。街路樹のは白や青色のイルミネーションが輝いて、街全体がすっかりクリスマスムードといった感じでした。
デパートに入ると、大きなクリスマスツリーが飾られており、その下でゴスペルのシンガーの方たちによる、クリスマスソングのステージが繰り広げられていました。去年のクリスマスは何をしていたかなと思い出してみると、旅館のスタッフと一緒にピザや鳥のから揚げやケーキを食べていました。
帰りに山田宏巳シェフの中華料理のお店、チーナ・ヒロに寄って、激辛の坦々麺を食べてきました。いつ食べても口から火が出るほどから〜い坦々麺ですが、何度か食べているうちに癖になってきているような気がします。
長野に帰ってくるとこちらはまだまだクリスマスといった感じではありませんでしたが、これから長野の方もどんどん賑やかになってくんだろうなと思います。
昨日に続いて地元新聞「信州日報」に掲載された記事をご紹介いたします。
飯田の味を海外へ
【ネオジャパネスクの表博耀(おもてひろあき)会長からヨーロッパでの文化イベントの協力を求められた長野県スタッフ。しかしフィレンツェでの茶会に出す新しい和菓子の開発に行き詰まっていた…。】
長く熱のこもった議論の末、ひとつの結論が見えてきた。それは、今まで自分たちはネオジャパネスクや京都のお菓子のイメージばかり気にしていて、この南信州に目を向けていなかったこと。いくら頑張っても何百年という歴史を誇る京都の老舗に勝てるはずはなく、ならば私たちが子どものころから慣れ親しんできたこの地のお菓子を、胸を張って海外へ持っていこう、という決意だった。
きんつば、赤飯まんじゅう、塩ようかんなど多くの名前が挙がる中で、「てんぷらまんじゅう」という単語が妙に耳についた。日本といえばスシ・テンプラ・フジヤマ。和菓子を油で揚げてしまうのもありではないか。スタッフは夜の十時を回っているにもかかわらず、田月の厨房でてんぷらまんじゅうを作り始めた。具には上から赤飯・練りあん・チーズを使い、赤・白・緑のイタリア国旗を表した。油で揚がるとその色は一層鮮やかとなり、香ばしさも引き立つ。あんがほどよく溶け出し、口の中に品のいい甘さが広がった。
さっそく表会長の住む大阪市まで道具一式を持参し、プレゼンテーションをさせてもらった。まんじゅうを揚げるパチパチという音に表会長は「何を始めるんだ」といぶかしげな表情。しかし揚げたての試作品を食べた表会長の口から「確かにおいしい」との言葉がこぼれた。
ついに採用かと期待するスタッフに、表会長は「しかし」と続けた。「これを日本代表の和菓子として持っていくのは、ちょっとあかぬけない。もっと洗練されたものでこれぞ日本のお菓子というものはないのか?」。そしてまんじゅうの脇に添えられていた市田柿をつまみ上げ「これこそ飯田の和菓子じゃないか。このままでは使えないが、この柿を世界にも通用する和菓子にしてみないか」。
こうして文化イベントに出品する素材は決定したが、市田柿は南信州を代表する素晴らしい味覚ゆえに、食材としての難しさも大きかった。
材料の提供は地元のケフィア・アグリさんが、南信州を世界に知ってもらうのならと快く協力してくれた。ゆべしにしてみたり、チョコレートでコーティングしてみたりと、桑原さんと城田さんは連日、市田柿を相手に悪戦苦闘した。様々なチャレンジを経てついに「御玉(みたま)」と名付けられた完成品が誕生した。市田柿の甘さを引き立てるために酸味の強いチーズ「マスカルポーネ」を中に入れ、苦味の濃いココアパウダーを表面にまぶすことでさらに甘さを強調することに成功。ふたを開けてみるとそれはまさしくティラミスと市田柿の融合であり、偶然にもイタリアと日本のコラボレーションになっていたのだった。(つづく)
さすが、プロの記者の方の書く文は違いますね。
続きは来週の新聞で掲載されるようですので、またお伝えできたらと思っております。
地元新聞の「信州日報」に、若旦那が書いたロンドン・フィレンツェでのネオジャパネスクの文化イベントの様子がシリーズで掲載されています。この新聞は南信州でしか読むことができないため、若女将の日記にてご紹介して行きたいと思います。
新たな和菓子への挑戦
先月にロンドンとフィレンツェで行われた日本文化提言イベント「ネオジャパネスク2006」では、飯伊から参加した長野県スタッフが芸能や和菓子、料理のもてなしで高い評価を得ました。ネオジャパネスク文化経済連合会(表博耀(おもてひろあき)会長)の長野県支部長で長野県スタッフ代表を務めた逸見尚希さん(石苔亭いしだ社長)に、メンバーの奮闘ぶりをリポートしてもらいます。
私たちがネオジャパネスクに参画することになったのは、県内作家のクラフト作品を旅館空間に組み合わせたイベント「風をテーマにした客室」を六月に石苔亭いしだで行った際、表博耀会長がみずからデザインした着物「古の翼」を提供してくれたことがそもそものきっかけだった。
ネオジャパネスクは「温故創新」をキーワードに日本の文化や産業を現代と過去において融合させ、日本の個性を世界に発信しようと活動している団体である。今年の「ネオジャパネスク2006」に参画してもらえないかと正式に表会長から話を頂いたのは、その月の下旬のことだった。十月十二日にイタリアのピッティ宮殿で開催される茶会「あい茶会」で、おもてなしプロデューサーを私に担当してほしいという。イタリアのスタッフにお茶の作法や所作を教えたり、あい茶会で提供されるものを揃えたりと、雰囲気作りを総合的に演出するのが表会長から託された役割だった。
あい茶会で出される和菓子を作るために、南信州でこだわりをもった仕事をしている職人の方々にさっそく声をかけた。根羽村「ネバーランド」コック長の桑原幸一郎さん、和菓子店「田月」社長の城田茂さん、セラード珈琲の佐々木隆浩さん、ケフィア・アグリの福岡美子さんと、多種異業種のスタッフが集まった。和菓子を載せる漆器のお盆の制作は、木曽の漆器店「ちきりや」の手塚英明さんが引き受けてくれた。
あい茶会を含めたロンドン・フィレンツェで行なわれるネオジャパネスク文化イベントの音楽担当としては、和力の加藤木朗さんに依頼した。いずれの皆さんも今回のイベント趣旨に賛同し、南信州ブランドを世界へ発信していくことに力を貸すことを約束してくれた。
ようやくメンバーがそろった時はすでに七月、本番まで三カ月しかない。ちきりやの手塚さんは表会長のデザインをもとにさっそく勾玉(まがたま)の形をしたお盆の制作にとりかかった。和力はステージのイメージデッサンをもとに和太鼓を中心とした音楽を創り上げていく。
各スタッフが順調に準備を進めていく中、和菓子担当のスタッフだけはどんな作品がイベントにふさわしいか悩んでおり、なかなか制作にとりかかることができずにいた。試作品第一号としてネオジャパネスクのシンボルでもある「古(いにしえ)の不死鳥」をかたどった細工菓子を作ってみたが、子どもの粘土細工のようで味も今一つ。表会長に試食してもらったが案の定「形にこだわり過ぎ」「食べて美味しいと思えるものでないとダメ」と却下された。
会長からのアドバイスでお盆と同じ勾玉の形をした水菓子を試作してみたが、結果はやはり不採用。どうしてもいい和菓子を作ることができず、新しいものを生み出すことの難しさに全員あきらめムードになっていた。
ある日の会議で、スタッフの一人から声が上がった。「作ったお菓子がダメ出しされているんじゃない。これくらいしかできないと思っている俺たちがダメ出しされているんだ」。
その言葉をきっかけに、沈んでいた雰囲気は一変した。日本とイタリアをつなぐ和菓子を自分たちの手で作りたい、それをこの南信州から発信したいという熱い思いから、いろんなアイデアが生まれはじめた。(つづく)
今日はボジョレーヌーボーの解禁日です。今年のボジョレーはとてもできがいいそうです。石苔亭いしだでは、今だけのサービスでチェックインのウェルカムドリンクで「Domain du Clos du Fief〜ドメーヌ・デュ・フェエフ〜」というワインをご提供させていただいております。限定12本しか入荷ができなかった貴重なワインです。
2001年、英国にて、コート・ドールの並み居るピノ・ノワールを圧倒し長熟力に秀でた「驚愕のガメイ伝説」を残したと言われる、この生産量限定のボジョレーヌーボーをどうぞ石苔亭いしだで味わってください。
※チェックインのウェルカムドリンクで提供しているものは、無料となっております。シャンパン・ハーブティー・お抹茶のチョイスとなっておりますので、お好きなものをご提供させていただきます。
今日は、月に一度、グループ長以上のスタッフが集まっての幹部会議の日でした。いつも幹部会議で若旦那からスタッフへの話があります。今日の会議に出された資料を黙って載せちゃいます。こんな話だったんです。
<和風旅館ではなく“日本旅館”を創る>
石苔亭いしだのセカンドシーズンのテーマがはっきり見えた。
なにがリアルジャパニーズカルチャーなのか?
◇近頃の雑誌を見て思うこと
同じ方向・同じコンセプト・同じ風景の旅館ホテルが増えてきたな。
○○風のどれほど多いことか。本物がどこにもない今の日本。
サムライの精神・ゲイシャの奥ゆかしさ・フジヤマの象徴性・リョカンでの察し…。
広さではない。意味のあるイマジネーション空間としての日本空間。禅スタイル。
日本人が「あ〜…日本ってこんな国だったよな」と思える日本をここ石苔亭いしだに再現する。
国内の旅館が和モダンに着目している今だからこそチャンス。今“日本”が新しい。
形にすることは怖いことだが、イメージしたものを形にしなければ商品にはならない。
“創ること”と“作ること”の違い
創ることは想像すること・空想することに近く、経営力が問われるのに対し、作ることは実際に形作っていくものであり、現場力が問われる。どちらも大切。
日本人の“おもてなしの心”や“思いやりの心”は素晴らしいが、そのあやふやさゆえ、雑になったりおざなりになったりすることが多い。サービスという言葉は不確かで不安定なもの。石苔亭いしだはサービスパフォーマンスを行なう。
明確なコンセプトとそのコンセプトを達成するためのやり方が必要。マニュアルよりももっと具体的なもの。
能狂言・歌舞伎・文楽などに見られる所作
能狂言での笑い方・泣き方・立ち方・歩き方はいずれも日常のそれらとは違う。
日本の気持ちの表し方はすべてその心持をあらわす「型」で表現する。
おもてなしの「型」を通して石苔亭いしだのサービスを再構築する。
日本の「型」を用いて接客する…これがサービスパフォーマンスとなる。
…などなどでした。
先日、石苔亭いしだのお花を見ていただいている唐木さち先生とお茶室で「察する心」についてお話をしました。話のきっかけは若旦那がネオジャパネスクのイベントで、海外において感じてきた日本人の心についての話題からでした。
旦:サムライやゲイシャに代表されるような神秘的の精神性が、今まさしく“日本人”に求められている世界観のような気がする。」
唐:「お花もそうですが、綺麗なものばかりを飾るのではなく、朽ちていく花にもその命のはかなさを感じて一緒に添えることにより、その深みを更に増していくんです。“日本人”にはそういったところを楽しめる心がありますね。」
旦:「海外でホテルや空港でサービスを受けてみて、とてもその対応がドライなことに驚きました。“日本人”のサービスがどれだけ世界に誇れるものかを実感しました。“日本人”のサービスマンは、お客様の心にどれだけ寄り添えるかというところまで考えていますよね。それには相手の心を“察する”ことが大切というか…。」
唐:「そう、お花でもお茶でもそうなんです。相手の心を察して私が今なにをしてあげることが一番いいか。そういった心で日本の文化は深まっていくんですよね。“日本人”は、もっと相手の心を察することが上手な国民だと思うわ。」
茶室で盛り上がっている話を聞きながら、これから石苔亭いしだが“日本旅館”として、再創造していくヒントがたくさん含まれているなと思いました。
今日と昨日の2日間は、茂山千三郎先生を講師に迎えた狂言のお稽古の日です。今回から私たちの長野県社中に「木賊狂言会」という名前も付き、今日のお稽古は狂言「木賊」の舞台でもある園原の里にある「園原能楽堂」で行なわれました。
11月も半ばとなるともう山の上は寒くなってきます。園原能楽堂は古い民家を移築して造られた建物のため、暖房器具などはありません。今日は能舞台の脇になぜかある囲炉裏に火を入れて暖を取りました。初めはなかなか上手く火が付かず、能楽堂の中は白い煙だらけとなり、お稽古どころではない状態でしたが、火が付くとそれまで冷え冷えしていたお稽古場がだんだんと温かくなり、囲炉裏を囲んでのお稽古の順番待ちといった和やかな雰囲気の中、お稽古が行なわれました。
先日、狂言の発表会が終わり、今日から新しい演目の練習が始まりました。これまで以上に動きが多かったり、台詞が長かったりするものが多かったわけですが、さすがお社中の皆さん、先日の発表会で自身をつけられたようで、声の出し方や抑揚のつけ方など前回のお稽古とは全然違っているのを見ていて、なにか嬉しくなってきました。私は「京わらべ」という茂山家に伝わる小舞にチャレンジします。
今度の発表会は4月22日の、狂言「木賊」のお披露目の日となります。頑張っていい舞台が踏めるようにしたいと思います。
近頃のニュースを見ながら思います。ニュースも視聴率なのかな…と。
少し前はどこもかしこも「耐震偽造」のニュース。耐震偽造の問題が解決したのかしないのかの検証もないうちに、「ライブドア」の堀江さんの問題が起これば、われ先にとヒルズ族だのIT長者などと騒ぎ立てて、今度は「いじめ」による自殺者が出たと言って誰が加害者でだれが被害者かとどこのテレビ局でも取り上げています。
かつてのニュースには公平性があったように思います。事実を伝えるのがニュースです。それがどうも最近のニュースは、ワイドショー化しているように思えてしょうがありません。報道が取り上げれば上げるほど、自殺者の数は増えていきます。キャスターがブラウン管を通して「今、自殺をしようと思っている人…そんな馬鹿なことは考えないで。」と言っています。世間が騒げば騒ぐほど、世の中は浮き足立ちます。自殺予告をすれば政治家までも動いてくれると思ってしまう子どもまで出てきます。
犠牲になるのは、そんな勘違いをして死んでいく子ども達です。報道をしている人たちに問いたいのです。あなた達は加害者ではないのですか…と。
イギリスの旅行雑誌の取材で来館されているシェリーンさんをお連れして、私たちの旅館で卵を仕入れさせていただいている池ケ平牧場へお昼を食べに行きました。
空は秋晴れでどこまでも青く澄み渡り、山々の色は紅葉でとても綺麗でした。私はお世話になっている方や友人が来ると必ずこの山の上の牧場にお連れします。囲炉裏を囲んで食べる名古屋コーチンのお肉は、いつ食べさせてもらっても絶品で、その一つ一つの食材や調理の仕方にこだわりを感じます。
360度のパノラマの風景と、すすきの穂を揺らす秋風の音…。とても幸せな時間が流れます。お腹がいっぱいになった後、車で山を下ってきながら、旅館で飾る活け花の草木を取って帰って来ました。