昨日に続いて地元新聞「信州日報」に掲載された記事をご紹介いたします。
飯田の味を海外へ
【ネオジャパネスクの表博耀(おもてひろあき)会長からヨーロッパでの文化イベントの協力を求められた長野県スタッフ。しかしフィレンツェでの茶会に出す新しい和菓子の開発に行き詰まっていた…。】
長く熱のこもった議論の末、ひとつの結論が見えてきた。それは、今まで自分たちはネオジャパネスクや京都のお菓子のイメージばかり気にしていて、この南信州に目を向けていなかったこと。いくら頑張っても何百年という歴史を誇る京都の老舗に勝てるはずはなく、ならば私たちが子どものころから慣れ親しんできたこの地のお菓子を、胸を張って海外へ持っていこう、という決意だった。
きんつば、赤飯まんじゅう、塩ようかんなど多くの名前が挙がる中で、「てんぷらまんじゅう」という単語が妙に耳についた。日本といえばスシ・テンプラ・フジヤマ。和菓子を油で揚げてしまうのもありではないか。スタッフは夜の十時を回っているにもかかわらず、田月の厨房でてんぷらまんじゅうを作り始めた。具には上から赤飯・練りあん・チーズを使い、赤・白・緑のイタリア国旗を表した。油で揚がるとその色は一層鮮やかとなり、香ばしさも引き立つ。あんがほどよく溶け出し、口の中に品のいい甘さが広がった。
さっそく表会長の住む大阪市まで道具一式を持参し、プレゼンテーションをさせてもらった。まんじゅうを揚げるパチパチという音に表会長は「何を始めるんだ」といぶかしげな表情。しかし揚げたての試作品を食べた表会長の口から「確かにおいしい」との言葉がこぼれた。
ついに採用かと期待するスタッフに、表会長は「しかし」と続けた。「これを日本代表の和菓子として持っていくのは、ちょっとあかぬけない。もっと洗練されたものでこれぞ日本のお菓子というものはないのか?」。そしてまんじゅうの脇に添えられていた市田柿をつまみ上げ「これこそ飯田の和菓子じゃないか。このままでは使えないが、この柿を世界にも通用する和菓子にしてみないか」。
こうして文化イベントに出品する素材は決定したが、市田柿は南信州を代表する素晴らしい味覚ゆえに、食材としての難しさも大きかった。
材料の提供は地元のケフィア・アグリさんが、南信州を世界に知ってもらうのならと快く協力してくれた。ゆべしにしてみたり、チョコレートでコーティングしてみたりと、桑原さんと城田さんは連日、市田柿を相手に悪戦苦闘した。様々なチャレンジを経てついに「御玉(みたま)」と名付けられた完成品が誕生した。市田柿の甘さを引き立てるために酸味の強いチーズ「マスカルポーネ」を中に入れ、苦味の濃いココアパウダーを表面にまぶすことでさらに甘さを強調することに成功。ふたを開けてみるとそれはまさしくティラミスと市田柿の融合であり、偶然にもイタリアと日本のコラボレーションになっていたのだった。(つづく)
さすが、プロの記者の方の書く文は違いますね。
続きは来週の新聞で掲載されるようですので、またお伝えできたらと思っております。
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