昨日の朝のNHK連続テレビ小説を見ていて、昔の自分を思い出しました。
私は21歳の年に両親の経営する石苔亭いしだへ入社しました。
実はその翌翌年だったと思います。
私は旅館を逃げ出したのです。
今でも鮮明に覚えています。
当時の石苔亭いしだは、今よりも数倍お客様の入りこみ人数が多かったです。
お盆の忙しいお客様を送り出したときでした。
当時のルーム長だった、村上志津江さんに手紙を残しました。
何故、当時女将だった自分の母親ではなかったのか???
それを2つ目のきっかけに、母と私の関係は溝が出来たまま時がたちました。
その時は、散々悩んだつもりでいました。
でも、何にもわかっていなかった当時の自分にその後、気がつくことになりました。
初めての職場で、勝手な理想を掲げ、経営者だった両親を、私は散々けなしていたように思います。
また、旅館という独特な女性の職場の中で、女将の娘という事を乗り越えることが出来なかった自分を、回りのせいにしていたのだと、後に気がつきました。
当時私が逃げ出したのは、責任感と生真面目な性格が自分自身を疲れさせ、頑張りすぎたことにあるのだろうと今思います。
認められようと、朝から晩まで、また休みもとらず、私は頑張ったつもりでいます。その内、身体に蕁麻疹が出るようになり、突然涙が込上げしゃくりあげたり、通勤の道中で運転しながら嘔吐を繰り返し、また居眠り運転で自損事故を3ヶ月で3回程繰り返しました。疲れていたのでしょうね。
体が疲れると、心も疲れるものなのでしょう。
人間は弱いです。心も身体もつけれれば、自殺願望なんて当たり前のように湧いてきます。
結局また旅館へ戻ることを決心し、旅館を逃げ出した後3年目に出戻りを
21歳の時も、出戻りの時も、環境は決して私をウエルカムでは無かったです。
その時も、当時のスタッフは皆さん残っていましたのでNHKドラマの鉄平と同じです。
そう簡単に皆さんが受け入れてくれるはずもありません。
母だって私には声をかけません。
私は未熟だった自分を認めていたため、それから約6年ほどでしょうか、「先輩の皆さんの姿を学ぶ・・・・」という気持ちで「黙って黙々と仕事をする」という姿勢を心に誓い、過ごしてきたつもりでいます。
実際がどうだったかは良くわかりません。
仕事って、簡単じゃありません。
また、ゼロから立ち上げた経営者の方の尽力というのもきっと私にはまねは出来ません。
自分のそんな経験から学んだことは、今の私の自信になっていると思います。
努力が大切だということ
信念が大切だということ
己は未熟だということ
論語にありましたね、
吾れ十有五にして学に志ざす。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳従う。
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。
ちょっと違うかもしれませんが、人間死ぬまで自分との戦いであり、学ぶ謙虚な姿勢を忘れてはならないのだと、私なりに自分の志を立てています。
こんな私に育ったのも、皆両親の背中を見てきたからだと感謝します。
一人の人間には、これまでのいろいろな歴史があるのだと、あらためて思いました。若い未熟な時があって、それが時間の経過と共に人間として磨きがかかるのだと・・・。
率直に自分を振り返っておられる若女将は、すばらしい方だなと思います。これからも、どんどん磨きをかけていってください。楽しみにしています。
投稿情報: 西山 正子 | 2011年1 月25日 (火) 21:16
若女将さんはとても心が優しい方ですね。でも自分のことも気にかけてやってください☆でないと若女将さん自分が先にダメになっちゃいますよ!人生なんてあっという間に終わります…せっかくですからエンジョイしましょ!!
投稿情報: タイガーマスク | 2011年1 月25日 (火) 23:42
有難うございました。
「自分の生き方が間違いではなかった」
と思えるように、
「素敵な女性だったね」
と少しでも多くの方に言っていただけるような自分に成長してゆけるように、私は学んでいけたら嬉しいと思います。
時々、こうして応援していただけることは何より、励みになります。
本当に有難うございます。
「口ばっかり・・・」
「理想ばっかり・・・」
ということは、十分にありえます。
自分のことはわかりかねますので、
周りの皆様のご指導をよろしくお願い致します。
投稿情報: 若女将 | 2011年1 月28日 (金) 05:28