今日、ご紹介しますのは「はなや」さんに入っている「春木屋」さんです。
春木屋さんは地元阿智村の和菓子店で、私たちも日頃から大変お世話になっているお店です。今回、この昼神温泉に来られるお客様方に、少しでもいい想い出を持ち帰っていただこうというこの行事にご賛同いただきご参画いただきました。
はなやさんは若女将さんが打ち合わせにも積極的に参加してくださいました。
「阿智村と飯田市が一緒になって行事がこれまでなかったので、この機会にお互いのいいところを出し合ってお客様に素敵なものを差し上げることができれば・・・。」
という若女将さんの言葉どおり、旅館の前にはオープンテレス風のお休みどころが設置され、昼神温泉郷の爽やかな空気を存分に楽しむことが出来る、とても素敵なコーナーが用意されています。ふと見ますと、クリスマスのリースのような可愛らしい茅の輪が飾られているのに気が付きます。人が通ることができる大きな茅の輪もあれば、はなやさんのような可愛らしい茅の輪もあります。
※はなやさんの玄関脇に設置されたお休みどころ。
春木屋さんで有名な和菓子といえば「栗まん十」です。
この和菓子については、こんなお話がありますのでご紹介いたします。
明治20年、冬のことでした。神坂峠を越え、長旅の末にようやく信濃に入った京の旅人甚六でしたが、夜も更け路銀もなくなり本当に困り果てて仕舞いました。 麓の農家に宿を求めましたが、何処も泊めてくれる所はありませんでした。
しかし、最後に辿り着いた豆腐屋の主人・長太郎が温かく迎い入れてくれました。
「その温もりは父の慈顔にふれたかの様でした。」
それから数日が過ぎ、甚六は「私に出来る恩返し」とお菓子をつくり、その製法を伝えました。そのお菓子の柔らかな甘味は静かにとけてゆき、豆腐屋の主人・長太郎はこの美味しさにびっくりして「もっともっと多くの人に食べてもらいたい」と思いました。
こうして甚六は人の情にふれ、この有り難き実際(ことがら)を末の世まで伝えんとし住にしえの人々が安寧の世を望んで表した文字にちなみ、名を「栗まん十」と名付け、京のお菓子をこの地で造ることを主人・長太郎に託したのでした。
明治22年。
久しき人々が味わった深き想いに倣い、有り難きに祈りを捧げ、以来栗まん十を調整いたしております。
ひとつの和菓子にもこんな深イイ話があるんですね。
明日は「みさか」さんと「松寿堂」さんをご紹介いたします。
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