「学校へ行きづらい」と言いましても、不登校の話ではありません。
先日、娘の麻琴を連れて散歩へ出かけたときです。実家のそばの小学校の校庭にブランコがあるのを思い出して、娘を遊ばせようと小学校へ行くと、玄関のところにこんな立看板が立っていました。
今は物騒な事件が多発している為、こんな立看板が立ってしまうのも仕方がないことかもしれませんが、なんとなく悲しい気分になりました。かつて教師であった若旦那にこの話をすると、
「一時は「開かれた学校」と言って、授業参観日でなくても自由に親が授業を観に来れたり、村の人が学校にお茶を飲みに来たりするのを歓迎していた。それまで前例のなかった神戸での残忍な酒鬼薔薇事件があってから、地域に開かれた学校というイメージが一気になくなってしまった。」
アメリカで起こっているような凶悪な犯罪が、今、日本でも毎日のように起こるようになってしまいました。昔は凶悪犯罪が起こると事件解決までをニュースや新聞でどうなたのか確認することができました。今は、子どもが親を殺したり、小さな子どもが殺されたりする事件の報道が多すぎて、どの事件でどんな人の命が奪われたのか、わからなくなってしまっている自分が怖く感じます。
グランドではその学校に通っている子ども達が、大きな滑り台の周りで鬼ごっこをしていました。安心して子ども達が遊べる場所を確保するには、犯罪者から子ども達を守る隔離された場所が、日本にも必要になってしまったことを悲しく思いました。
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