実は、1班の香港の研修旅行中に、私の親父が心筋梗塞で倒れた。めったに電話をかけてくることのない母親からの電話。携帯電話の向こうの母親の声が震えていた。
「お父さんが倒れたの。戻ってきてくれる…。」
今まさに親父が救急車で運ばれようとしているその場からの、母からの電話だった。今、香港にいることを伝えると、母は力なく「それならば無理だね。」と電話を切った。
ホテルの部屋のベッドの上で、どうしたらいいのかを考えた。次の日の朝一番の飛行機で日本に帰る。それで間に合うか。10分おきに母親の携帯に電話を入れ続けた。親父は集中治療室に入り、そのまま手術となったようだ。いくつかの血管が詰まってかなり危ない状態であったが、倒れた場所が行きつけの医院の待合室で、処置が早かったこともあり、命はとりとめることができたと、夜になって母から連絡が入った。
若女将にはスタッフに親父のことは黙っておくように伝えた。
若女将と娘の麻琴は、初めての海外旅行だというのに、ずっと私の傍にいてくれた。それが私にとってのせめてもの救いだった。夜は眠ることができなかった。一秒でも早く朝になってくれることを願った。香港国際空港から成田へ。帰りのバスを運転しながら、甲府の街の明かりが見えて来たら、なんだか涙が溢れてきた。
私は一人息子だ。安曇野の実家に両親を残して、今、石苔亭いしだで働いている。いいスタッフや仲間にも恵まれて、幸せな時間を過ごさせてもらっている。しかし、親父と母を2人残してここ昼神で働いていることを、親父は本当に喜んでいたのだろうか。
石苔亭いしだが新聞や雑誌に載ると、それを切り取って親父はファイルしてくれていた。親戚には自分の息子が昼神温泉でこんなに頑張っているんだと誇らしげに話してくれた。毎年、おせち料理を買ってくれて「うまい。うまい。」と言って、いしだの味を褒めてくれた。私がこれまでこの旅館でやってきた全てのことは、実家に置いてきてしまった両親に、ずっと「これで許してくれるか」という、問いかけても答えの出ないメッセージだったのかもしれない。
一人しかいない親父に、一人しかいない自分がしてあげられること。それは親父の意思を自分がしっかり引き継ぐことだと思った。
俺の親父は、不器用だったけど真面目だった。頑固者だったけど決して嘘は言わなかった。無口だったけどいざという時には行動した。それが俺の親父だ。俺もそんな親父になろうと思う。そうならなきゃいけないと思う。俺の体には親父の血が流れている。
昨日、2度目の手術が無事終わった。主治医の先生が「大丈夫と言っていましたが、本当はかなり危ない状態だったんですよ。」と教えてくれた。また、涙が出てきた。
親父の心臓の一部はもう動いていないが、その他の筋肉がしっかりしているから大丈夫だそうだ。今まで真面目に生きてきたから神様が命を助けてくれたよ。
私にはしなくちゃいけないことがある。それは親父にきちんと「ありがとう」と言うこと。気がついたら、今までお礼の言葉を一度も言っていなかったことに気付いた。病室に行く度に言おうと思うが、照れくさくてなかなか言えない。この次に会った時に言おうと思う。
「親父、ありがとう。俺も親父のような親父になるよ。」と…。