昨日から2泊3日で上村の下栗の里に来ている。これまで下栗の里には何度も来た事はあるが、実は下栗から眺める夕日や朝日や星空を見たことがないことに気づいて、全てスケジュールをキャンセルして下栗の里に滞在してみることにした。
泊まっているのは下栗に2軒しかない民宿のうちのひとつ民宿「ひなた」部屋からははるか眼下に遠山川が見え、ほぼ目線の高さに雪をかぶった聖岳や兎岳が見ることができる。空と山と川・・・。それ以外はなにもない。そんな環境の中で3日間なにもしない時間を、本当に贅沢な時間と感じることが出来るのかが、今回の滞在の時間を通して実感したいことだった。
夕方になって夕日が西に傾く頃、娘をベビーカーに乗せて下栗のらせん状の道を拾五社神社まで散歩に出かけた。村には高齢の方が多いため、赤ちゃんを連れて散歩している光景は珍しいらしく、すれ違う人や畑仕事をしているおじいさんたちが「かわいい赤ちゃんねぇ」と声をかけてくれた。思いがけず多くの村人と交流が出来、夕食までのひと時がなんとなく心温まるひと時となった。昔はこんな夕方の風景画が日本のあちらこちらであったのかもしれない。道々の家から匂ってくる夕食の匂いが、そろそろ私達も宿に帰る時間だと教えてくれた。
民宿で出してくれた夕食は、どれも宿のおばさんが手作りでこしらえてくれたものばかりだった。手作りの五平餅のたれは、さっき散歩に行く前に玄関先で、おばさんが近所のおばさんと一緒にゴマや山椒などを混ぜながら私達のために作ってくれていたものだ。2人で少しずつ味見をしながら「もうちょっとゴマを入れたほうがいいかね」「いや、こんなもんでいいんじゃない」と話している声が耳に入った。天ぷらにしてだしてくれたタラの芽は、夕方近所のおじさんが山で採れたからと届けてくれたものだった。「田舎だからこんなものしかないけどな」と言いながら出してきてくれる田舎料理は、どれも素朴でありながらもどこか懐かしく美味しいものだった。
テレビも無くラジオもない時間は、夕食の後の静けさを格別なものとしてくれる。窓から星空を眺めながら家から持ってきたワインを飲む。遠く深い谷底から聞こえてくる遠山川の音と、新鮮な山の空気が時間の感覚を麻痺させていった。今はいったい何時だろうと時計を見ようと思ったが、携帯電話もつながらないこの場所で、他に何を気にするわけでもないので時計を気にせずに夜が更けていくのを楽しむこととした。
〜つづく〜
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