毎年、海外をスタッフの研修旅行に選ぶのは、遠く海外から日本を眺めて、あらためて私たち日本や日本人の持っている魅力に気付く機会を取ることにある。
私は今回この国で、石苔亭いしだを含めた昼神温泉郷という、ジャパニーズ温泉リゾートのあり方について考えている。私たち昼神温泉郷は、今、昨年の12月1日から3月2日まで「昼神の御湯」という行事を行なっている。これは私たちがいつもお世話になっている「温泉」に感謝することと同時に、日本人の思いのより所を探すための昼神温泉のチャレンジでもあると私は思っている。
以前、ある伝統芸能がさかんな村へ観光へ出かけたことがある。神様に感謝の儀式をもう何百年も行なっている村で私がいつか訪れてみたいと思っていた村であった。祭礼が行なわれる場所やそれらの資料を飾った資料館を見学して、その村の歴史の深さと伝統行事の重さに感激した。その村が自分たちの恵みは、神様によって分け与えられたもので、そのことに対して毎年毎年感謝の気持ちを祭りという形で奉納していることに、同じ日本人として誇りさえ感じることができた。
帰りの道中。同行していた女性スタッフがトイレに寄りたいという。そう言われてもそこはまだ山の中。そばに立ち寄れるところもない。市街地まで行くにはあと20分はかかる。そんな時、一軒の灯りのともった喫茶店を見つけた。その喫茶店に立ち寄り事情を話すと「コーヒーを飲まない人には貸せることはできません。」と強い口調で断られた。
その店主は近くにトイレがないことを知っていたと思う。
神様に感謝する儀式を行なうことによって、日本人は自分の生き方にも少なからずそれを取り込んでいかなければならないと思う。私は宗教家でもなければ、なにかを啓蒙しようとなどとも思っていない。しかし、せっかく何百年もそういった伝統的な日本の儀式を続けてきた村民だったなら、そこで「どうぞ」と一言言ってほしかった。
私が思う田舎の風景は、そこに行けば“ちょっとだけ優しくなれるところ”である。今、昼神温泉郷はこれまであって当たり前だと思っていた“温泉”に向かって、3ヶ月間ひたすら手を合わせ続けている。私たち一人一人の心が変わっていくことが、この温泉郷が変わっていくことだと思っている。
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