ゴールデンウィークも折り返しに入りました。今日は若女将が朝から忙しいようなので、私がピンチヒッターで日記を書きます。急に日記を…と言ってもなにを書いたらいいかわかりませんが、思いついたところで書いてみます。
数日前、ホビー雑誌で気になった「CUBE WORLD」をYAHOOオークションで購入しました。四角いキュービックの中に人が一人住んでいて、そのキューブを連結させることで、その人がとなりのキュービックへ移ったり、一緒にダンスを踊ったりするおもちゃです。私は今のプレステ世代ではなく、ゲームウォッチ世代のため、液晶画面に映し出されるモノクロの人物がなんとも懐かしくて、ついつい購入してしまいました。今の技術ならば、もっと薄型にもできただろうに、あえて立方体という形状も、ルービックキューブをいじりながら育った私にとっては、ツボにはまった原因かもしれません。
しばらく前のことです。テレビで「となりのトトロ」の宮崎駿監督がこんなことを言っていました。
「この風景がいいなと思うと、それを頭の中に覚えてきてスタジオで描いてみる。しかし、もう一度その場所へ行ってみると、描いた絵とその風景はまったく違うものだったりする。」
心の原風景や昔懐かしい風景といったものは、決して実際に存在しているものとは限らないということだと私は思いました。
音響関係の方から、一番いいBGMは、イメージ映像だけ流れている風景映像だと聞いたことがあります。それを見た人が、自分がこれまで聞いてきた中で、一番いい音をその画像に無意識のうちに当てはめているからだそうです。
茅葺きの屋根の家を見て「あ〜懐かしい」と思う。実際には茅葺き屋根の家に住んでいたわけでもないのに、多くの日本人がそう思ってしまうのは、きっと遠い日本人としての記憶が、今でも私たちのDNAの中に引き継がれているからなのではないかと思います。
宮崎駿監督の描く「日本の風景」の方が、屋久島の原生林よりも、時に私たちの心に激しくうったえかけてくるのは、それが現実のものではなく、宮崎監督のDNAを通して、日本の原風景として再構築されたものだからなのではと思います。「本物よりも本物らしい」とは、そういったことなのかもしれないと感じます。
話のまとめ方がわかりません。ごめんなさい。おわり…。
若旦那さんのおっしゃるとおりだと私も思います。屋久島の縄文杉を見るルートに「もののけ姫の森」があります。その名のとおり映画「もののけ姫」の舞台となったポイントだそうです。こうなってくると、屋久島の縄文杉が本物だったのか、映画の中の風景が本物だったのかわからなくなってきますね。これだけ情報や文化が溢れてくると、いったいなにがオリジナルだったのかがわからなくなってきます。本物と偽者の境界線もあやふやなものですけど。日記の中に「DNA」という言葉が出てきましたが、確かに自分の血の中にも日本人としての「DNA」が流れている気がします。「本物」っていうのは、形あるものではなくて、考え方だったり精神的なものだったりするのではないかと思いますが、若旦那さんはどんなふうに考えますか?
投稿情報: 屋久島の縄文杉 | 2006年5 月 5日 (金) 23:00
屋久島の縄文杉さんありがとうございます。確かに「本物」と「偽者」の線引きは難しいですね。「古い」からと言ってそれが「本物」とは限らない。逆に現代に引き継がれてきた「今の形」のほうが、意外と「本物」だったりすることもあると思います。
大切なことは、何千年たった今でも屋久島の杉が現実としてそこに「ある」ということです。これは「本物」「偽者」以前の「事実」です。宮崎監督の「もののけ姫」という映画が、多くの人々に感動を与えたり、影響を与えていることも「事実」です。縄文杉さんのおっしゃるように、確かに現代は情報過多となり、オリジナルがなんんだかわからなくなっていますね。だからこそ、私たち自身が目の前にある目の前の「事実」をどうやって判断するかが大切になってくると思います。自分にとってその「事実」が必要なものならば、いくらまわりの人が「偽者」だと言っても、それは自分にとって「本物」だと思います。「本物よりも本物らしい」とは、そういったことなんじゃないかと思うのですが。
投稿情報: 若旦那 | 2006年5 月 5日 (金) 23:00
本物より本物らしいという意味がなんとなく解りますよ。私も本物を保存していくことだけが、「本物」を残していくことだとは思いませんね。自分にとって、その「事実」が必要ならば、それは「本物」という若旦那の考え方に、妙に納得しました。
投稿情報: 屋久島の縄文杉 | 2006年5 月 5日 (金) 23:00
よく伝統芸能を後世に残していこうとする取組みで「○○保存会」というものがあります。芸能のかたちを保存していこうとしたところから、その伝統芸能の衰退が始まっていくと私は思います。何百年も昔の伝統芸能が今でも残っているとするならば、それはその時代、時代に民衆に受け入れられるかたちで、絶えず進化し続けてきたからです。だからこそ、今あるかたちも額に入れてとっておこうということではなく、どんどん使っていろんな人が喜んでくれるように、そのかたちを変えていくことが大切です。新しいことを始めようとする時は、必ずオリジナル(原点)に戻ります。そうやって伝統というものは引き継がれていくものだし、古きものが踏襲されていくことだと思います。伝統芸能や伝統工芸を継ぐ若い人がいないとよく耳にするのも、昔はそれが「粋」だったり、「雅」だったりしたものが、現代にあってそれらがミスマッチをおこしていて、必要感さえ薄らいでしまったからだと思います。芸能とか工芸から、かっこよさだとか必要感を取ってしまったらなにも残りませんから。
投稿情報: 若旦那 | 2006年5 月 5日 (金) 23:00
「CUBE WORLD」は、組み合わせによっていろんな動き方をします。いろいろ試されてはいかがですか。是非お部屋にも置いてほしいですね。
確かにゲームウォッチ世代にとっては、スティックピープルの動きはたまらない。「ピップ、ピップ、テレレレレン・・・。」というなんともアナログな音もいい。5分ほっておくと勝手に電源が切れてしまうのが残念。一日中見ていても飽きないけどな。
3Dのゲームも凄いが、こんなレトロなおもちゃの方がツボにはまってしまうのは、やっぱりもうおじさんになってきたってことなのかもしれない。トホホ・・・
投稿情報: @スーパーマリオ | 2006年5 月 6日 (土) 23:00