私は5年前まで小学校の教師として教壇に立っていました。
今日から1週間は、「若女将の日記」の場をお借りして、その時のエピソードや現在の学校教育に関する考えなどを語ってみたいと思います。えっ!若女将じゃないの?という方、辛抱してください。そんなに悪い話じゃありませんから。
今日は「教える」ということについてお話しします。
「教師」というくらいですから、私は学校で自分のクラスの子供たちに様々なことを教えてきました。当時、学校教育でよく言われていたのが「子どもたちに生きる力をつけさせる教育」でした。(今も同じかは知りませんが・・・)当時、私は学校教育にこのテーマが与えられたとき、とても嬉しく思ったことを今でも覚えています。
<生きる力>・・・・なんとも夢のある、そして力強いテーマだと思いました。
「いいクラス」と、「学級崩壊をしていくようなクラス」とは、根本的にクラス集団のつくり自体に違いがあります。
<教師主導>でクラスのルールや学校のルールばかりを子ども達におしつけ、それを基準に子ども達を叱る教師のクラスは、その教師が不在であったり、担任が変わったりした時、とても不安定な状態になります。
それは、子ども達自身に今なにが正しくてなにが間違っているのか考えさせることをしていないからです。
それに比べて、子ども達に決定権を委ねることのできる教師が担任するクラスは、一見いい加減なよう見えますが、子ども達が自分たちで考えて答えを出すトレーニングを積んでいますから、例えばその教師が二日酔いで「午前中、自習。」と言って寝ていたとしても、子ども達同士で「うるさくすると先生が起きるから、静かにしよう。」ということになるわけです。
<生きる力>をつけるというのは、自己実現のために、いかに自分の知恵と体を使えばいいかがわかる力をつけるようにすることだと、私は理解していました。
しかし子どもにつけなければいけない力と、現場の教育にはおおきなギャップがありました。
つづく
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