ジャムセッションを聞くのが好きです。
それぞれ違った表現方法を持ったアーティストが、どちらに歩み寄るわけでもなく、一緒に演奏したり演じているうちにそれらが融合されスパイラルとなって昇りつめていく。
オーケストラが互いの音色を溶け合わせながら美しいハーモニーを奏でていくものならば、ジャムセッションは互いの音をぶつけ合わせながらどこかで折り合いをつけていくといったイメージがあります。
能や狂言にもそんなところがあります。シテ方がしゃべっているのにワキ方が同じ声量でしゃべりだす。そうかと思えば能管や鼓まで力一杯音を出してきてもうメチャクチャ!少なくても私が初めて能を見たときにはそんな印象を受けました。
ただ最後に伝わってきたのは、オーケストラにはない鬼気迫る迫力と力と力がぶつかり合う事によってのみ感じることのできる心地よさでした。
本物と本物がぶつかりあうと、例えそれがまったく違うジャンルのものであったとしても「本物」というところで響きあいます。どちらかが少しでも力量不足だとどちらかに飲み込まれてしまう。
能狂言は日本のジャムセッションのような気がします。
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