子供を保育園に迎えにいくときでした。
特別何も変わりありません。
それなのに車の窓のフレームに、白く光る丸々とした月がピタッとはまって見えました。
「目に飛び込んできた!」
っという感覚で、心が「はっ」としました。
とっても美しく感じたのです。
あまりに美しく感じて、心が清められた気持ちになりました。
その後、子供をピックアップして帰宅途中は辺りも夕焼けがかってきていました。
すると、先ほどの月は、もっともっとはっきりと存在を表し、きれいに輝いていたのですが・・・・
先ほどのような感動とは違いました。
そうそう同じ事で感動はしないですね。免疫が出来てしまいました・・・・
あのときの感動は何だったのか?
ありふれたいつもの景色だったのに・・・・
不思議で不思議で、考えてみました。
結論は、「私の心の状態だったのかな?」と思いました。
ここのところ忙しいといえば忙しい・・・・のですが、その忙しさも特別違った物ではありません。
子供などの状態で、予定通りに進まず、段取りがおろそかになり、仕事が思うように進まずバタバタ・・・等等、子供が生まれてからは当たり前のことです。
しかし、石苔亭いしだを「素敵な人たちで囲まれる、良い旅館(会社)にしたい」「お客様もスタッフも業者の皆様も豊かな心になれる旅館(会社)にしたい」それを成し遂げるためには、私は何を選択してゆけばいいのだろうか?何をとって、何を捨てなければならないだろうか?
と、考えすぎて頭が凝り固まっていたのかもしれません。優しい心、ゆとりの心を忘れていたのかもしれません。似たような出来事ですが、子供の顔を見て、はっとすることがおおくなりました。
今日もそうでしたが、子供を保育園に送り迎えする道中最初に大概「今日は何して遊んだの?」
などと聞きます。その後、しばらくして子供が静なことに気付き「あれ?」と思い、また声をかけるのですが、その時はすでにつまんない顔で窓の外を見ていて返事をしてくれません。
私は、最初に声をかけたまま会話をすることをせずに、また仕事のことを考えて運転をしていたのです。きっと無表情で真面目な顔で運転している姿は、子供には怖い顔をしているように見えているかもしれません。それと、存在を忘れられていることに気付いてるかもしれません。
その時は、心から反省をします。
つまんない顔・・・といいましたが、自分の失態に、寂しい思いをさせているという後ろめたさから、泣きそうな顔に見えてしまします。そこからどれだけフォローをしても、随分と時間がたたないと子供は私に笑顔を向けてくれません。
そんなふうだから、今日の月は意として私の心に飛び込んできたのかもしれません。
きっと、石苔亭いしだに来られる皆様もそんな忙しい毎日をお過ごしなのガと思います。温泉と料理とスタッフの接客は、今日の私で言うと、美しく見えた月のような存在でありたいと感じます。
日頃当たり前だと思っていた全ての物や事に、改めて幸せを感じられる感動・・・
心が洗われる思い、清められる思い、
それは、自分自身の存在の気付きでもあると思います。
とっても大切にしなければならないのは、自分自身の心の有り方かな・・・
と感じました。
石苔亭いしだは、そんなことに気付いていただける時間と空間を提供できる宿でありたいです。
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