昨日は雨の中、清内路の花火が行われました。
清内路の花火は、日本を代表する祭り・・・・の1つに挙げられているすばらしいお祭りです。
清内路の花火をご覧になるために、起しになられたお客様がいらっしゃいました。「南信州方面(昼神温泉)は初めてです。いいですねー」という会話に私は、何も考えず出る言葉のままに「清内路に行かれたら、きっと更に感動されますよ!」とお答えしました。
お客様は「え?そうですか!何がそんなにいいですか?」と返事が返ってきました。私は内心「どっき!」としました。・・・・何が?でしょう・・・・・?まさか、そんな返事が来るとは思いませんでしたから。
でも、昼神温泉にこられて何かを感じてくださったお客様です。その方々でしたら間違いなく感じ取ってくださるものが清内路にはあります。
それは、自然に囲まれた中で、便利さとは程遠い環境の中で生活している人々から伝わってくるエネルギーです。いわゆる「村人」といわれる方々をみていると、「人間というのは本来こういう姿が自然なんだろうな~」と感じさせていただきます。
それを感じると不思議と自分の力が「ふー」と抜けるのが解るんです。あれ?どこか力が入っていたのかな?と自分自身に不思議が湧きます。
大地の恵みに感謝し、あらゆる物に神仏があることを感じさせ、自然と共に共存する当たり前の姿。また、便利な物が何も無いからこそ、あるもの・・・・智恵を使い、生活に遊び心や楽しさを生み出す能力が備わっています。こうした人々と触れ合うと、人間に「味」があることを感じます。
清内路の花火は、そもそも神社への奉納のための花火として受け継がれてきています。村人の男児は、成人になると全員花火師の資格をとるよう、いわゆる「オキテ」がありました。今は希望者でいいようですが・・・・
便利さが豊かさではないことを、こういう土地の方と触れ合うと実感できるものです。
私達は、社員旅行でバリ島へ行ったことがあります。バリ島の人々は、毎日決まった時間にご先祖様や神様に感謝をささげる儀式があります。花びらを浮かべた水を「ぱっ、ぱ」と午前と午後にささげる姿です。また、毎月決まった日があるのでしょう、玄関先にご先祖様を祭るためか何かのお供えをします。この光景には本当に印象に残る美しい姿でした。(決して容姿端麗では無いのですが、後光が差しているように神聖なものに見えたのです。)
なにより自分達の家の敷地の中に、親族が全て住み、親族で鶏を飼い、農業を行い、自分達の食する分の野菜は自給自足でまかないます。敷地の中にはお墓までが守られています。ですから、一軒が本当に広い敷地です。そしてそこには、ご先祖様という大きな存在への感謝があります。
今では近代化がすすみ、バリ島のきれいな自然の中にビニールゴミが散乱し始めています。一部の人はとても悲しがっていました。ビニールは自然に返らない。バリ島の人間が汚れはじめている。土地の力が弱まっている。といっていました。
映画の「サムライ」を思わせる生活です。
無いものねだりなのかもしれませんが、「サムライ」で感じさせてくれた「魂」の世界は、日本人の私ですらとてもあこがれます。話が随分飛んでしまいましたが・・・
さー、昨夜出かけていかれたお客様は、清内路の花火をご覧になられて、どのように感じてこられたでしょうね。
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