シルバーウイークを迎えました。忙しくなるぞ!!!と、その意気込みを石苔亭いしだの空気の中に感じます。本当にありがたいことです。
さてそんな空気の中、私は旅館の皆さんに失礼して1日お休みをいただきました。今日は彼岸入りと義父の月命日です。考えてみると父の葬儀からすぐ初盆、さらには横浜研修、娘の水疱瘡等が重なり、気がつかないうちにバタバタと心無く日が過ぎていました。
でも、最近になって良く考えるんです。
「どうして日頃変わりなかった義父が71歳という若さで急になくなってしまったのだろう?」
そう思うと、寂しさと無念さが湧いてきます。子供を授かった為だと思うのですが、親がいてくれることのありがたさと、その存在の大きさを今までよりも一層感じています。同時に、36歳を迎えた為と思うのですが、自分自身、残りの人生の長さを感じ、どんな一生を送りたいか、その為に自分は今どうするのか?と考えるようになりました。
義父が亡くなった時、私には嫁としての勤めがありました。何もしなかったのですが、そこには喪主の妻という役目があったのです。そのとき初めて私は自分の新しい家族を実感したのではないかと思うのです。
今まで旅館の若女将という事、嫁ぎ先の実家が遠かったという理由で、嫁ぎ先のご両親にはいろいろなことを失礼してきていました。葬儀から約4ヶ月たった今、やっと落ち着いて動き出せる気持ちが湧いてきました。私は今、嫁としても何かお返ししていきたいと思っています。
主人の実母であり、娘の祖父母です。まだ幼い娘ではありますが、日々の礼儀を当たり前として、親の姿から娘にも具え持ってもらいたいと思います。親がいてくれなければ、「家族の深い情」というものを教えてあげることも出来ません。子供が健全に育つために、さらに人を思いやり感謝する心を養うために「家族愛」はとても重要な意味を持っていると考えます。私なりの哲学です。
先ほど申し上げたように、「どうして日頃変わりなかった義父が71歳という若さで急になくなってしまったのだろう?」
その答えが、「私の家族という存在に気付かせてくれたのだ」と、そこに見つかったのです。
旅館での立場も有りますし、実家も高速で2時間弱と離れた場所にありますので、頻繁には出かけられないかもしれませんが、毎月の月命日付近は必ずお墓参りに出かけさせていただこうと思っています。
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