月曜日の朝は、娘に洋服を着せようとする辺りから様子がおかしいです。妙におとなしく、しおらしくみえます。いつもは第1次反抗期かと思うほど、自分で全部やりたいのに出来なくて、私のやることが気に入らなくて、かんしゃくをお越し手こずるのに、それが少ないのです。
そんな様子の状態で保育園に預ける時は、いつもと同じように泣いても、いつも以上に後ろ髪が引かれ、私の心が締め付けられます。電車に乗り、研修先にむかう足取りがいつもより少し重くなり、幼い子に親の都合を押し付けてしまっている自分を責めてしまうところがあります。
そんな弱気な心を打ち消して、気合を入れるためにも元気に、気持ちよく朝の挨拶をするのですが、いざ始まると今度は親指が痛くて思うように力が入らず満足に出来ないことが、更に私の心を弱くさせます。慣れない環境にきて、知らない人たちの中にいるという寂しさと不安も少なからず影響しているのだろうか?と初めて、自分の一面に気が付くような想いです。
私はもっと強く、鈍感、あるいはたくましい方だと思っていました。きっと昔は今よりもそうだったのだと思います。子供を生んだことと、年齢を重ねたことで大分保守的になっているところがあるのかもしれません。
そう感じた時、先日義父が旅立ち一人残された義母の気持ちや、年齢を重ねた自分の親や祖父母と同じほどの方々の気持ちが少し解る気がしました。私の祖父母も生前「慣れた場所を離れたくない。」とよく言っていました。それに、あんなに女将として忙しく飛び回っていた、たくましい母も、だんだん遠出や新しい方々と出会うような機会を少しずつ“おっくう”(めんどくさがる)がるようになってきているところがあります。
それでも私には、石苔亭いしだの若女将としての責任と自覚が有ってくれます。そんな弱気な心も研修に打ち込むことで、知らないうちにどこかへ吹き飛んでいました。横浜へきているこの研修は、見つめている先のまだ入り口でしかない。研修が終わったらそこからまたなすべきことがあります。まだまだ弱気になっている時ではないですからね。
自分の新しい一面に気づいた月曜日の様子でした。年齢を重ねるって、なんかいいですね。自分の弱さを認め、現実を受止められる心が養われてくる。自分自身の角が取れ、少しずつ丸くなっていくような感覚。それがやさしさとも感じられます。それを良し悪しとするかですが、「私はいいことだな」と感じます。
・・・・・・それでも研修時間終了間近になると、娘が気がかりになり始め、駅のホームを走り始め少し涙に緩む目をこらえていました・・・・・・
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