携帯電話をなくしてしまっていました。育児をするようになってから、どうも集中力や注意力が足りないんですよね。日頃から、鍵や財布、携帯電話はそんな自覚があり「いつかやってしまうかも!!」という不安は常にありましたが、まさか東京へきているこんな時にやってしまうなんて・・・・。お財布をなくしたのと同じぐらい動揺し、あせりました。とりあえずどうしていいのかわからず、交番へ行き、駅へいき駅員さんへも届けを致しました。現状ではどうしようもないことを知って、ひとまず誰かが届けてくれることを待つことにしたのです。待つこと4時間。
お蔭様で夕方までには落し物として地下鉄駅に届いたらしく、本日中に受け取ることが出来ました。一手間も二手間も多くなり大変でしたが、とにかくよかった。駅員さんのお話だと、携帯電話やストラップに特徴がないと、見つかるケースは少ないそうです。でも本当によかった。届けてくださったかたに心から感謝です。
届けられていた駅を考えると、私が落としただろうと思われる場所から一時間は離れた場所でした。そうすると、「あー携帯電話が落ちてるなー。誰か落としちゃったんだなー」と思っている方はいながら、何人目かの親切な方がやっと拾ってくださったんでしょうね。もし自分が逆の立場だったら・・・・
確かに、他の方の目がある中で携帯電話を拾うという行為は一瞬躊躇するかもしれません。なんとなく大事な物だと思うからこそ、周りの方の眼がある中人の物を持つ行為が誤解を招くのではないかな?という後ろめたい気持ちが湧くように思いますね。
一週間ほど前、研修の仲間がやはりお財布を落としてしまうという出来事がありました。その方も何も抜きとられていないまま交番に届いていたそうです。なんでも話によると、高校生の女の子が、「お礼があるんですよね」といって、交番へ届けてくれていたそうです。その時の私達の会話は「すごいね。良く有ったね。普通東京じゃ絶対見つからないよ。見つかったとしても中身は空っぽだよね~。」あるいは「お礼」についての話。「私は3回ほどお財布を拾った経験があり、交番へ届けたけど、お礼もらったことも電話をもらったこともないよ!!」と話したばかりでした。
私は今回で考えを改めます。困っているかもしれない方の事を考えれば、拾って交番へ届ける。例えそれがお財布でもかばんでも同じです。人として当たり前の行動を常に考え実行するべきです。自分はそんなこと出来ていると思っていました。でも大勢の人に中に埋もれてしまうとそれもあいまいです。多くの人の目が有るようで、実は無い事、心に常識や良心があるようで、行動に出ていないこと。
正しく生きると言うことは、意識していないと実は難しいのかもしれませんね。
貴重な体験をされている日々を読ませて頂いております。携帯電話の事を知り私達は、逆の行動を目の当たりにしました。それは、今日町屋に三人で出掛けました。雨に降られましたが、娘が「雨の中歩くのも楽しいね」との一言に、身体が濡れていることも事も忘れるくらい楽しい一時でした。そんな中、トイレに入ると数人のおば様方が、騒いでいました。トイレの中に携帯が置き忘れていた様でどうしたらいいかしら?と、わたしは、落とされた方はなんと幸福な方だろう良い方に拾われてと、思いました。正反対の経験ですが、日記を読ませていただいて、ご縁を感じてしまいました。
後もう少し気候が不安定ですが、お身体ご自愛下さい。
投稿情報: 立石 | 2009年6 月30日 (火) 00:54