親父が死にました。
今年の1月に心筋梗塞で倒れて、2本の血管が詰まっていても止まらなかった親父のでかい心臓が、今度はもう動かなくなりました。先生の「脳内出血でお父さんはおそらく痛かったり苦しんだりしなかったと思いますよ。」という言葉だけが、せめても救いでした。朝方倒れた親父は、親戚一同が揃うまで待っていたかのように、その日の夕方、静かに逝きました。
喪主として会葬してくださった方々に挨拶をしている時でさえ、なにか他人の葬式に出ているような気持ちでした。家に帰れば裏の畑で親父がくわを振るう音が聞こえてくるような、台所の親父の椅子に6時になればまた親父の茶碗が並ぶような、そんな気が今もしています。
親父を乗せた霊柩車の窓から見える常念岳は、いつもと変わらずそこにあって、眼下を流れる犀川は今日も緩やかに流れていました。唯一違うのは今日は親父がいないということだけ。無言の車内でおふくろが「こんなドライブになると思わなかったね。お父さん。」って言いながら親父の棺桶をさすっているのを見てたら、突然涙が溢れてきました。
親父が倒れたのをきっかけに、それまで3ヶ月に一度しか帰らなかった実家に、娘の顔を見せに毎週帰るようになりました。娘の麻琴が家族の間を歩き回るのを家族全員で見守り、その様子に皆顔を見合せて笑っていました。「じぃじ」とうまく言えないものだから「いーい、いーい…」と言って寄っていく麻琴を親父は優しく抱き上げて、いつも絵本を読んでくれていました。家族ってホントはこんな感じだよなと思いながら、そんな当たり前の風景がこれまでなかったことにやっと気が付きました。
一人息子が遠く南信州で暮らしていて、なかなかそのことを認めてくれなかった親父が、先月こっちに来てくれて庭に紅葉を植えていってくれました。ここで暮らすことをきっと許してくれたのでしょう。
親父はホントは1月の時に死んでいたのかもしれない。そう思います。
少しだけでしたが、親孝行の真似事ができました。母親に親父はいつか死ぬんだという心の準備をさせてくれました。
親父と過ごしたこの4ヶ月は、親父が私たちにくれた最後のプレゼントだった気がします。
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