宮島の厳島神社にて4月16日から3日間、「厳島神社桃花祭御神事」が行なわれています。若旦那は京都茂山千三郎社中として「福の神」の奉納狂言を、明日18日に厳島神社能舞台にてさせていただきます。なかなかこういった機会はないということで、今回は娘の麻琴を連れて、私も狂言の舞台を見に行きました。今日から3日間は「若女将の日記~宮島編~」としてお話させていただきます。
※娘の麻琴ははじめての新幹線でした。
「あきの宮島」とよく言われますが、若旦那はどうやら「秋の宮島」と思っていたらしく、「かなり宮島は秋の景色が綺麗なんだろうなあ。春に行くのに秋って言うんだから。」と真顔で言っていました。本来は「安芸の宮島」です。
今回の桃花祭は、永禄11年(1568年)に毛利元就が厳島合戦で神聖を傷つけたお詫びとして京都から八世観世太夫元之らを招き、奉納したのが始まりだそうです。毎年広島県内や東京、京都などから延べ400人もの能楽師が集まり、厳島神社能舞台で能・狂言が奉納されます。神能に使われる衣装や調度の多さも全国屈指の規模で、なかには重要文化財指定の装束もあるそうです。
厳島神社は海を敷地とした平安時代の寝殿造りの粋を極めた建築美で知られる日本屈指の名社です。廻廊で結ばれた朱塗りの社殿は、潮が満ちてくるとあたかも海に浮かんでいるようで、日本三景のひとつとしても有名で世界文化遺産にも指定されています。
宮島のタクシーの運転手さんが「この島の90パーセント以上は、まだ手付かずの自然のままなんですよ。わずか数パーセントの部分だけに人が住んだり、神社が建てられたりしているけど、昔ながらの風情を残そうと車のために道を広げたり、信号機をつけたりはしないんです。」と話してくれました。確かに道は車一台が通るのがやっとの広さで、その道が一方通行というわけではないので、お互いが道を譲り合う相互通行のような暗黙のルールがありました。また、目的地まで直線で行けばわずかな距離でも、回り道をしているかのように何回も角を曲がりながら進まなくてはならないのも、戦の時に敵が陣内にすぐ入って来ることができないために工夫されたもので、その形を今でもそのままに残しているということでした。
※昔は各家の間口の広さによって税金が決まっていたらしく、どの家でも間口は狭く奥に長い家の作りになっていました。
宮島の皆さんはこの島の歴史や風景を誇りに思っていて、宮島を守る為に便利さよりも島のあり様を優先している姿に感心しました。気が付くと電柱が街中に一本も立っていないことにも気が付きます。電柱は昔にはなかったと言うことで、すべて地中に埋設しているそうです。島の方々のこうした弛まぬ努力によって日本三景「宮島」は今でもその姿を変えることなく守られていることが分かりました。
さて、いよいよ明日が奉納狂言本番です。若旦那は常に狂言の台本を片手に台詞の言い回しの練習をしています。
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