中村屋オープンには本当に多くの皆様がご来店いただき有難うございました。そしてせっかく来てくださったのにラーメンが終わってしまい、お召し上がりいただけなかった皆様、申し訳ありませんでした。ご来店いただいたお客様から「なぜ、あの中村屋が昼神温泉なの?」という質問をいただきました。本日の日記ではこれまでのいきさつをお話します。
「中村屋CARAVAN」昼神温泉店 出店までのストーリー
かつて昼神温泉には「ビュフェあひる」という、屋台ラーメンがありました。その素朴な味と矢澤マスターの人柄は、昼神温泉の夜の顔として地域住民や昼神温泉を訪れる多くの観光客に愛されていました。マスターが屋台ラーメンの中で、脳梗塞により亡くなったのは今から2年前の寒い冬の夜のことです。
その日を境に昼神温泉から、屋台ラーメンの灯は消えました。屋台ラーメンの灯が消えると共に、ラーメンの味を楽しみに町を歩く人たちの下駄の音もしだいに聞こえなくなりました。そんな時、屋台ラーメンの味をこよなく愛し通いつめていた、イタリア料理界の巨匠 山田宏巳シェフの声がけにより、もう一度、この温泉郷に屋台ラーメンの灯を灯そうという話が現実化してきたのは、マスターの四十九日が終わる頃のことです。
山田シェフが昼神温泉に呼ぼうとしたのは、日本国中、数あるラーメン屋の中でも、カリスマラーメン屋として名高い、神奈川大和市の「麺処 中村屋」を経営する中村栄利さんでした。しかし、中村さんのラーメンへのこだわりは本店以外では実現することができないという理由で、これまでも数多くの出店の誘いを断ってきたというお話をお聞きしました。あきらめて帰ろうとした時に、
中村さんからこんな言葉をいただきました。
「自分が作っているのは、たかがラーメンだけれど、そのラーメンがその土地の文化や元気に貢献できるなら、こんなに素晴らしいことはない。同じラーメン屋としてできることをやらせて欲しい。」
その日から昼神温泉屋台ラーメン復活プロジェクトがスタートしました。食堂車となるべき車両の確保、「ビュフェあひる」の店内を参考にしながらの厨房器具の設置、中村屋の「ウマい」を実現するための厳しいキャストトレーニング・・・。1年もの長き年月を経て、屋台ラーメンでありながらも、中村屋の味を忠実に再現することのできる最新鋭の厨房車両「中村屋キャラバン」がここに完成しました。
中村さんの強い要望から、昼神温泉地域の人はもちろん、中村屋のラーメンの味を味わいたくても行くことのできない、病院や福祉施設などにも積極的に出かけていきます。この屋台ラーメンが、人に元気や生きがいを届けることができたとき、ラーメンの新しい可能性が開けると信じています。
〜中村屋キャラバンチラシ裏面より抜粋〜
中村屋キャラバンは2〜3日昼神にいてまた神奈川に戻ってしまうんですか?と心配されているお客様も多くいらっしゃいましたが、中村屋キャラバンは、これからずっとここ長野県昼神温泉におりますのでご安心ください。
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