今日、「宴」にご出演いただいています加藤木さんのご親戚の方から、以前加藤木さんが「芸能」についてのインタビューなさった時のやりとりの様子を文に起こしたものを拝見させていただきました。
前略〜ひとりになって、いろんな太鼓を叩いている人とか、笛を吹いている人とか、それとソロで活動されている方とセッションみたいなものをやらせていただいたのですけれど、自分の中で何か釈然としない、すっきりとしないものがあったんです。何が違うのかなと思っていて、その時はまだ言葉にならなかったのですが、だんだんわかってきたのは、何か違うなと思ったものは全部、自分で作った人なのですね。
例えば、誰かに教わりに行って伝統的なものを教わって、「でも私はこの伝統的なものでは満足が出来ません」と思って先生に怒られながらも自分の色を出している人ではなくて、最初から誰にも付かないでやり始めた人たち。
そういう人が全部よくないというわけではないのだけど、そういう人たちとやると、闘ってないというか・・・・中略
伝統の場合は大きなものがあって、でもそれに飲み込まれないように立ち向かっているというか。飲み込まれないように「俺は俺なのだ」という音を出したりリズムを刻んだりしています。
でも最初から「私のオリジナル曲です」と言っている方たちは何も・・・・
闘いがないというわけです。
全員というわけではないですね・・・・後略
以前、狂言のお稽古の際に、茂山先生から若旦那が
「太郎冠者になろうとしてはいけない。ただただ型を覚えれば、自然と太郎冠者は向こうからやってくるものだ。」
と、言われたことを思い出しました。
詳しくは「和力」のHPをご覧ください。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。