今年でいよいよ4年目に入ります「紫宸殿の宴」1月1日元旦は塩原良さんの和太鼓の舞台。そして今晩は加藤木さんの舞台でした。特別に今晩の舞台は、和力のメンバーも駆けつけてくださいまして、酉年にふさわしい「鶏舞」や「獅子舞」などの演目で盛り上げていただきました。
能舞台の鏡板には神が宿ると言われる春日大社の老松を映してあり、能舞台で演ぜらるるものは、松に宿った神様に奉納するという意味があります。先人が代々口伝えてきたものの考え方や、大切にしなければならない心持ちを、この能舞台も受け継いでいます。
日本の作法や音楽にも素晴らしいものはまだまだあります。そして意味のあるものもたくさんあります。ある本にこんな文が載っているのを目にしました。
「あるフェスティバルで私が習っている能管と尺八を一緒に並べた。「自由に吹いて」という状態で。後日、師匠に言われた。「笛には魂が宿っていて、むやみに人に吹かせるものではない。そうすると主人が誰かわらなくなって、手元に戻ってきても、ホントに鳴らなくなってしまう。」と・・・。
スピーディーさや効率の良さばかりが重宝される世の中ですが、長い時間が磨き上げた伝統文化やその文化に裏打ちされている日本の精神文化に、たまにはゆっくり向かい合って考えることも必要だなと思いました。
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