ご存知でしたか?
娘を送りながら車のテレビで「とくダネ!」を見ました。いつもはそんなことしないのに、(研修が終了し)旅館に行くようになり、自分の情報不足が非常に不安に感じていました。小さな子供を抱えた奥様達は、この気持ちわかってくださいますよね。テレビを見る時間も、新聞を読む時間も、それこそ寝る時間を裂かないと出来ません。
そんな不安を少しでも解消しようと、つけたテレビからいきなり「便所飯」=「トイレでお昼を食べる若者達」という言葉が私の耳に飛び込んできました。私は、車を止めてテレビに釘付けです!!!それだけでは意味が解らなかったのです。
一体何が起こっているのでしょうか?「独り学食で食事をするのは、周りの目が気になる、友達がいないと思われたくない、寂しい」そうした理由からトイレで独り食事をする学生がいると言うのです。
始めのうちは、どうしても理解が出来ない、と言うより、理解したくない。今の若者を少し「軟弱」とおもう、否定的な感情で小倉さんやリポーターの方の話を聞いていましたが、最後の方になるとそうなってしまう「気持ち」も、自分の今までの心の歴史と照らし合わせながら「解るところもあるか」と変わりました。
しかし、だからと言って「トイレのご飯」という発想には自分はならない・・・・と、思う。そう考えながら見ていると、ふつふつとやりどころの無い苦しさがこみ上げてきていました。「哀れ、怒り、苛立ち、悔しさ、寂しさ・・・・」
こうした状況の若者達にぶつけたい怒りなのか、そんな若者を育ててしまった社会への苛立ちなのか、そんな社会の一員である自分への情けなさなのか、こみ上げる同情心が憎いのか・・・・
いつの時代でも、少なからず誰もがこういった弱い心が有る自分に出会っていると思うのです。人間関係は学びです。人の一生をロープにたとえるなら、間隔をあけて障害となるこぶがいくつも立ちはだかるでしょう。そこを少し立ち止まり、どんな意識で、どう乗り越えてゆくのか、そうして人間形成を成就してゆくものだと思っています。
私は自分の娘にどのように教育と愛情をかけていくべきか改めて考えました。希望に満ちた未来を築いていけるだけの心を養わせたい。人を育てるのは人です。その為にも今の自分の有り方をもっともっと精進しなければと思います。
石苔亭いしだを営んでいく上でも、お客様をおもてなしする側のスタッフへの接し方をどうして行くことが必要なのか。女将としての自分に大きな責任と目指すべき新たな志が芽生えそうなほどの、衝撃を受けたニュースでした。
ちょっと遅れた話題でしたか?
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