今日、若旦那がかつて教師だった頃の同僚から電話連絡がありました。
「同僚だった保健の先生が亡くなった。」
まだ32歳という若さで亡くなられたそうです。若旦那は明日お葬式へ出かけます。
知人の死というごく近い人の死に直面すると、あらためて今、私は生きているんだなということに気づかされます。当たり前のように流れていく雲のかたちも、花の色も、頬に当たる風も、すべて生きているからこそ感じることができるのだなと思います。
この命がどこまでも続くものだと思って、私は毎日をいい加減に生きているのではないか。もっともっと一日一日を刻み付けるように生きていかなければいけないんじゃないか。
いつか若旦那が「死の裏側にある生について考えろ」と言った事がありました。その意味をもっともっと深く考えてみたいと思いました。
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